カバカモ日記

カバとカモの二人が、少し前のくらし、たまに今のくらしをつづります。からっぽな毎日にひとしずくが落ちるままに。

人生へのこだわり

夏場、旦那のお弁当バッグに必ず冷凍しておいた保冷剤を入れていました。
腐ると良くないので念のために。

なのですが、この前、たまたま保冷剤を入れ忘れたら旦那から昼過ぎに電話がかかってきました。

「今日のかき揚げ、温かくていつもより美味しかったよ!こんなに美味しい物だったんだ」と嬉しそうです。

良かれと思い保冷剤を入れていましたが、こちらの良かれが、食べる本人にとって良いとは限らないと思いました。

食べる人が美味しく食べられる工夫をしないと、と思いました。

そう言えば旦那は特に温度にこだわります。
ラーメン屋さんも良いか悪いかの判断基準のひとつがスープが熱々か熱々じゃないか、です。

普段、ご飯を作る時も相手の「好き」や「良い」をなるだけ覚えておいたり理解しておくと、ご飯の時の満足感とか幸せ度が変わってくるのかなと思います。

うちの場合だったら作りおきの物は、しっかり熱々で出す…とか。

今、家を建てている途中ですが旦那のこだわりはバスルームの調光でした。
光が調節出来る機能を取り入れたいと強く主張していました。

色や形はともかく別の感覚へのこだわりが強いのかな?と思いました。

私は普段から色へのこだわりが強いので、旦那はそれを知っていてかなり好きにさせてくれます。
それでお互いのこだわりを優先にすることで、フラストレーションもたまることなく一緒に過ごしている気がします。

お互いにゆずる所、ゆずらない所が別々なのでうまくいっているのかもと。

でも、この前、家づくりで玄関タイルの色選びで失敗してしまいました。
本当にあの色で良かったのかな?とずっとモヤモヤするわ、喧嘩になるわです。

私が選んだ色は選択肢から消え、別の色になったのですが、後で「嫌な時はもっと主張して!」と旦那に言われ、喧嘩になりました。

最近、打ち合わせで、そう言うことが続いていて、相手に合わせることと、自分の意見の主張がどこまでして良いのか分からなくなりつつあります。

インテリアへのこだわりが強いにも関わらず、自信がなかったり、かつ相手に合わせる(尊重しようと思う)と言う状態なのも問題かなと思います。

自分の好きなイメージを貫けず、その場の空気に流されています。

相手の提案を否定してしまうと相手は嫌な気分になるかもしれない…と思うようになり、主張を抑え気味です。

結果、玄関タイルのように好きな雰囲気か分からず、もやっとすることになります。

家づくりは人生の選択にも似ている気がします。


2008年、旦那と結婚したいと思っていましたが、大阪で暮らしていく自信が持てませんでした。

自然や田舎が好きなのに、人の性質も環境も違う大阪にたった一人で行くことに職場も友人も反対の人が多かったです。

でも、そんな中で「まずはやってごらん」と背中を押してくれたのが父です。
思い返してみれば、父はいつも私の選択を信じて優先にしてくれる人でした。


自信がない時、自分の意見を否定せずに背中を押してくれる父はありがたい存在だったんだとしみじみ思いました。


今は家づくりで気持ちの面では旦那に頼っている気はします。
しかし旦那の「言いたいことがあるなら、しっかり言うこと!」と言う勢いに対して「お互いを尊重しながら」の私の意見で喧嘩になりつつあります。

家は大工さん、住宅ローンの面倒をみてくれた営業さん、コーディネーターさん、設計士さん…と、それぞれの役割を持った人たちに御世話になりながら、そこに施主の自分たちが加わり協力して創るものです。

今、打ち合わせの中で、誰の意見が勝った負けた納得させた…みたいな戦いになるのを危惧しています。
それが一番、危険です。
そんな感じになる位なら、旦那に全て任せたいです。
どうぞ、戦ってきて。と言う気分に時々、なります。

家のイメージは固まっていますが、そう言う所で悩んでいます。

旦那の主張も分かります。


人とは戦わなくても自分とは戦っていかないとならないと、と思います。
自信のなさだけは解決して、自分で自分の背中を押していかないといけないです。

家づくりも人生も。

クリスタルボンボンと色とりどりのお菓子

大阪に来てから長崎堂のクリスタルボンボンと言うお菓子を知りました。

可愛い色とりどりのボンボン。
そのうちにと思いつつ、まだ買ったことのない憧れのお菓子です。

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photo by 長崎堂


お菓子と言えば「シュガーラッシュ」と言う映画があります。

子供向けですが、この映画を気に入っていて、旦那と二人で時々、観ます。

色とりどりのお菓子の世界が楽しくて、逆境に立ち向かう主人公たちを見ていると、ちょっと疲れた時に元気になれる映画です。

後は、「アメリ」も元気が出てくる映画です。
フランスのインテリアの色づかいが素敵で、大事件はないけどアメリの日常が楽しそうです。
特にクレームブリュレのカラメルをスプーンでコツンとたたくシーンが好きで、学生時代はカフェで友達とクレームブリュレを注文すると、アメリの真似をして食べたりしました。

お菓子でも映画でも素敵な色とりどりの物に心惹かれる気がします。













秋の味覚と江戸時代

今週のお題「秋の味覚」

秋の味覚と言えば、さんま、栗、きのこ、さつまいも…とたくさんあります。

江戸時代、これら秋の味覚は意味も用途も違っていたようです。

さんまは、あまり好まれず「下品な食べ物」とまで言われていました。
そもそも貴族階級は食べなかったとか。
美味しいのにもったいないです。
長屋では節約のため、さんまの油を夜の灯りに使っていました。
黒い煙がたちこめ臭かったようです。

きのこは、江戸時代の人々も好んで食べていました。
平安時代に貴族だけが行っていたきのこ狩りは、
江戸時代になってようやく一般の人たちも楽しむようになりました。
娘さんたちはお弁当もってきのこ狩りに出かけたそうで、人気行事だったようです。

栗は長野県のある地方では年貢の代わりになっていました。

中国から伝来したさつまいもは、このころ、流行の食べ物です。
焼き芋の屋台に長蛇の列が出来ていたのだとか。


今では、きのこ狩りも焼き芋も昔ながらのものですが、
江戸時代では最新で流行だったんですね。

秋の味覚から見た江戸時代はちょっと新鮮に思えました。

しょくらあと

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photo by:【エクチュアからほり「蔵」本店】レトロな空間のチョコレートショップ http://www.chocolabo.com/2015/01/09/%E3%80%90%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%BB%E3%82%8A%E3%80%8C%E8%94%B5%E3%80%8D%E6%9C%AC%E5%BA%97%E3%80%91%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%AD%E3%81%AA%E7%A9%BA%E9%96%93/


大阪に来てからのお気に入りのカフェはからほりにある「くら」です。
チョコレートが美味しくてノスタルジックで何だかホッとする場所です。



今でこそ、いつでも食べられるチョコレートですが、昔は高価だったと聞きます。

いつ頃から日本でもチョコレートを食べられるようになったんでしょうか。

日本で初めてチョコレートを食べたのは長崎の遊女とも言われているようです。
諸説あるようですが。

当時は、長崎に来日していたオランダ人が数年の任期の間、遊女を家に置いて生活を共にしていたこともありました。

任期が終わると帰ってしまうのですが、遊女に生活道具やあれこれを置いていったんだとか。

そんな遊女のもらった物リストの中に「しょくらあと(チョコレート)」があったそうです。

しょくらあと…って可愛い響きです

三陸の家は草だらけの森に

今週のお題防災の日


三陸の母方の祖母が使う方言で「おっかねがった」は、怖いと言う意味です。

ちなみに「こわくて、こわくて」は疲れて疲れて…と言う意味になります。
子供の頃、祖母が「こえ~」と言うと「何が怖いんだろう?」と不思議に思っていました。

ふと、祖母が話してくれた津波の話を思い出しました。
祖母が子供の頃、津波がきて山に逃げたそうです。
そこからは、津波で家がどんどんつぶれていくのが見えたとか。
「おっかねがったよ~。津波はおっかねぇ」と言っていました。

東日本大震災は母方の祖父母が亡くなった後、数年後に起こったのですが、祖父母の家も流されてしまいました。

家にあったアンティークな大きい古時計や足踏みミシンなど、思い出の品も流されてしまいました…。

子供の頃は、夏休みや冬休みになると母や妹弟と何日も泊まったものでした。

イギリスの田舎にありそうな洋風の家でした。

ヨーロッパの友人の影響で洋風な家を建てたのかもしれません。

祖母自体、外国のおばあちゃんみたいな大きなわし鼻で、時々、ヨーロッパの人にまでヨーロッパ人と勘違いされていました。


父方がバリバリ日本人で日本語だけ話すのに対して、母方は英語をしゃべったり生活が洋風な感じなので、私が子供の頃は、和(父)と洋(母)、両方の影響を受けてその文化をいったりきたりしながら育ちました。

そんな洋風の家で、特にお気に入りだったのは祖母の裁縫部屋です。

大きな出窓のある広い裁縫部屋には、トルソーやカピス貝のガーランド、棚には色とりどりのボタンの入った瓶がありました。
祖母はその裁縫部屋でセーターやリュックサック、ズック入れ、色んなものを作って孫たちにプレゼントしてくれました。

9畳位のキッチンには薪ストーブがあって、朝は祖父がストーブの前に座りこんで薪をくべていました。
私は祖父の膝の上でおしゃべりです。

昼になると、今度は近所の人がそのストーブを囲んでおしゃべりです。
祖母はお茶を入れ、時々は、私もみんなにお茶を出しました。

洋風な家ですが、奥には畳の奥座敷がありました。
欄間や襖に描かれた山水画が印象的です。

出窓にはバスケットが置かれていて、ガラス棚には民族衣装を着たお人形とか、世界各国の置物がありました。

小さな頃、それを眺めていると少し世界旅行しているような不思議な気分になりました。

庭には家庭菜園用の畑と、20mはありそうな大木が数十本はえていて、小川が流れていました。

そこを冒険するのも夏の楽しみです。
奥に、何があるのかドキドキしながら歩きまわりました。

近くには小学校もあったので、従姉妹や妹弟と、だだっ広いグラウンドの遊具で昼までたっぷり遊びます。

夜は、居間で寝そべると庭から土やハーブの爽やかな香りが漂ってきて心地よかったです。

いよいよ帰る日になると、お土産に持たせてくれるのが、祖母手作りのシュークリームでした。


あんな家を建てたいなぁ…とぼんやり思いながら、1年前、家を建てる構想を練っていました。
母も喜ぶかなぁと思ったり。

結局、自分たちのオリジナルな感じになりましたが…(^-^;
キッチンの再現は無理でした(汗)

とは言え、素敵な家になる予定です。

いつか孫たちのお気に入りになってくれたら良いなぁと思います。
まだ子供もいませんが…(--;)

東日本大震災以来、その祖母の家があった場所に家を建てるのは禁止になりました。

母と叔母は話し合い、もう家を建てられないけれど、思い出の場所なので手放さないことに決めました。

鮮明に思い出す祖母の家です。

今では草だらけの森になりました。

明治時代の結婚記念日

もともと日本には、結婚記念日をお祝いする習慣はありませんでした。
初めて日本で結婚記念日をお祝いしたのは明治天皇で、銀婚式を盛大にお祝いしました。

どんな風だったかというと、
まずは賢所皇霊殿、神殿を祭礼してから天皇皇后は鳳凰之間に行き、内外群臣の拝賀を受けました。
それから宴を開き舞楽を観賞。

町ではたくさんの日の丸が掲げられ、朝から夜まで花火があがりました。
すごいですね。

明治天皇の結婚記念日以来、一般にも結婚記念日が普及したようです。
明治時代の人たちは、どんな風にお祝いしていたんでしょうか。
気になります。

去年、旦那が結婚記念日に花束を買ってきてくれたのでドライフラワーを作りました。

今日はそのドライフラワーを使って明治時代の結婚記念日をイメージして飾ってみました。

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