三陸の家は草だらけの森に
三陸の母方の祖母が使う方言で「おっかねがった」は、怖いと言う意味です。
ちなみに「こわくて、こわくて」は疲れて疲れて…と言う意味になります。
子供の頃、祖母が「こえ~」と言うと「何が怖いんだろう?」と不思議に思っていました。
ふと、祖母が話してくれた津波の話を思い出しました。
祖母が子供の頃、津波がきて山に逃げたそうです。
そこからは、津波で家がどんどんつぶれていくのが見えたとか。
「おっかねがったよ~。津波はおっかねぇ」と言っていました。
東日本大震災は母方の祖父母が亡くなった後、数年後に起こったのですが、祖父母の家も流されてしまいました。
家にあったアンティークな大きい古時計や足踏みミシンなど、思い出の品も流されてしまいました…。
子供の頃は、夏休みや冬休みになると母や妹弟と何日も泊まったものでした。
イギリスの田舎にありそうな洋風の家でした。
ヨーロッパの友人の影響で洋風な家を建てたのかもしれません。
祖母自体、外国のおばあちゃんみたいな大きなわし鼻で、時々、ヨーロッパの人にまでヨーロッパ人と勘違いされていました。
父方がバリバリ日本人で日本語だけ話すのに対して、母方は英語をしゃべったり生活が洋風な感じなので、私が子供の頃は、和(父)と洋(母)、両方の影響を受けてその文化をいったりきたりしながら育ちました。
そんな洋風の家で、特にお気に入りだったのは祖母の裁縫部屋です。
大きな出窓のある広い裁縫部屋には、トルソーやカピス貝のガーランド、棚には色とりどりのボタンの入った瓶がありました。
祖母はその裁縫部屋でセーターやリュックサック、ズック入れ、色んなものを作って孫たちにプレゼントしてくれました。
9畳位のキッチンには薪ストーブがあって、朝は祖父がストーブの前に座りこんで薪をくべていました。
私は祖父の膝の上でおしゃべりです。
昼になると、今度は近所の人がそのストーブを囲んでおしゃべりです。
祖母はお茶を入れ、時々は、私もみんなにお茶を出しました。
洋風な家ですが、奥には畳の奥座敷がありました。
欄間や襖に描かれた山水画が印象的です。
出窓にはバスケットが置かれていて、ガラス棚には民族衣装を着たお人形とか、世界各国の置物がありました。
小さな頃、それを眺めていると少し世界旅行しているような不思議な気分になりました。
庭には家庭菜園用の畑と、20mはありそうな大木が数十本はえていて、小川が流れていました。
そこを冒険するのも夏の楽しみです。
奥に、何があるのかドキドキしながら歩きまわりました。
近くには小学校もあったので、従姉妹や妹弟と、だだっ広いグラウンドの遊具で昼までたっぷり遊びます。
夜は、居間で寝そべると庭から土やハーブの爽やかな香りが漂ってきて心地よかったです。
いよいよ帰る日になると、お土産に持たせてくれるのが、祖母手作りのシュークリームでした。
あんな家を建てたいなぁ…とぼんやり思いながら、1年前、家を建てる構想を練っていました。
母も喜ぶかなぁと思ったり。
結局、自分たちのオリジナルな感じになりましたが…(^-^;
キッチンの再現は無理でした(汗)
とは言え、素敵な家になる予定です。
いつか孫たちのお気に入りになってくれたら良いなぁと思います。
まだ子供もいませんが…(--;)
東日本大震災以来、その祖母の家があった場所に家を建てるのは禁止になりました。
母と叔母は話し合い、もう家を建てられないけれど、思い出の場所なので手放さないことに決めました。
鮮明に思い出す祖母の家です。
今では草だらけの森になりました。